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一九九七年、土橋先生の元を離れてからちょうど一年、世田谷代田に小さなスタジオを設立しました。スタジオ設立パーティーの時は、ギターリストの鴻池 薫さん、歌手の竹本ひろ美さんや糸須まち子さん達が、お祝いに来てくださいました。ハワイの知人からは、クム・フラ アリイ・マヌを紹介されて、Halau 'O Po'ohala というスタジオ名をつけてもらい、少しずつ増えていく生徒さん達と充実した毎日を送っていました。
翌九八年十一月には長女美織を出産、出稽古には一緒に連れて行き、車の中で母乳をあげると言う毎日でした。どこに行くにも一緒だったので、幼稚園に行く時は、なかなか親から離れるまでに時間がかかり、お互い辛い思いをしていました。
二〇〇一年二月には次女美紗希を出産、その頃は生徒さんの数も急増して、その年にハワイ研修旅行やスタジオを設立5周年記念、第一回ホイケ等を予定していた為、次女美紗希は山形に住んでいる私の伯母に、約半年間預けられたのです。
この育て方の違いで長女と次女は、全然違う性格になってしまいました。
(美織、美紗希ごめんね。)
この時のエピソードで、約半年ぶりに会った美紗希は私の事をすっかり忘れてしまい、他人を見るような感じで伯母から離れませんでした。この事に胸を痛め、どんなに忙しくても、もう伯母には預けられないと心に誓ったものです。(しかし「三つ子の魂百まで」で、中2まで時間があれば、「ばぁばぁの所へ行ってくる」と一人で山形まで伯母の様子を見に行ってくれていました。)伯母には預けられないとは言っても忙しい毎日、二人の子供たちの面倒はお手伝いさんに任せきりで、幼稚園のお母さんたちからは「さっと来て、さっと帰る人」と言われていたと言う事は、後々うちの生徒さんになった人の話ですが......この第一回ホイケを皮切りにフラと私の激動の生活が始まったと言っても過言ではありません。 |