メールが正しく表示されない方はこちら
SMI会報-第2314号
ロゴ
今回のSMI会報(2023年12月1日)発行について
談話室 シリーズ1 -「人生に華を」-
を発行させて戴きます。
[1] 目次
[1] 表紙 目次  
[2] 「人生に華を」第4回-表題「人生をフラと共に」 芥川 美佳
[3] 芥川 美佳 著者 略歴 フラ実績  
[4] 芥川美佳さんの紹介
[5] 小平(SMI総務管理)からお聞きしたいこと
[2] 「人生に華を」第4回-表題「人生をフラと共に」
「談話室」
シリーズ「人生に華を」第4回
表題 人生をフラと共に
筆者 芥川 美佳
[3] 芥川 美佳 著者 略歴 フラ実績 
著者 略歴
芥川美佳
芥川 美佳
1963年 山形県出身
1985年

大東文化大学卒業

某厨房機器会社に入社

1995年 某厨房機器会社退職
1996年 銀座プランタン松涛校講師
1997年 自身のフラスタジオを世田谷に設立
2013年 3月 横浜校設立
2013年 12月 大阪校設立
2016年 4月 横須賀校設立
フラ実績
2002年 ホオラウレアジャパン クプナ アウアナ部門 2位入賞
2005年ホオラウレアジャパン ワヒネ アウアナ部門 2位入賞
2008年ホオナネア ソロコンペ ロコマイカイ部門 優勝
2009年ホオナネア ソロコンペ クプナワヒネ部門 2位入賞
 ホオラウレアジャパン クプナ部門 2位入賞
2010年 フラ ホオラウナ アロハ ワヒネ部門 2位入賞
2011年 フラ ホオラウナ アロハ クプナ部門 2位入賞
2014年 イオラニ・ルアヒネ・フラ・フェスティバル クプナ部門 優勝
2016年 フラ ホオラウナ アロハ クプナ部門 優勝
フラ ホオラウナ アロハ クプナソロ部門 優勝
フラ ホオラウナ アロハ 総合 優勝
2018年 フラ ホオラウナ アロハ クプナソロ部門 2位入賞
2022年 茅ヶ崎マカナフラフェスティバル クプナ アウアナ部門 優勝
※ 「アウアナ=現代」 「ワヒネ=13歳から34歳の女性」 「 ロコマイカイ=35歳から59歳の女性」
 「クプナ=60歳以上の女性」
[4] 芥川美佳さんの紹介
フラに出会うまで
フラに出会うまで
私は大学入学の為に上京するまで、山形で生まれ育ちました。2歳の時に母と妹を亡くすという不幸に遭いましたが、その後、育ての母にはとても良くして頂き、何不自由なく田舎のお嬢様として生活してきました。大学を卒業して某厨房機器会社に就職し、そこの役員に認められ、役員の秘書に抜擢されました。その会社は全国に支社・支店があり、毎年売り上げ成績優秀支社・支店の支社長・支店長達を、ハワイに連れて行きましたので、私も毎年役員に同行してハワイに行っていました。
その頃の私はハワイに行っても買い物三昧で、フラの「フ」の字も知らず、観光客相手に見せるポリネシアン・タヒチアンダンスを毎回見ては「あんな人前で肌を出して踊る踊りなんて...」と真剣に見ず、フラに背を向け離れて行っていました。
ハワイから帰って何時もの生活に戻ったある日、お料理・着付け・銀細工 等々、いろんな習い事に興味を持っては、何一つ続かずじまいなのに「そろそろ身体を動かすことでも始めてみようかなぁ、ジャズダンスは私に向かなそうだから、ソシアルダンスでもしようかなぁ」と考えていた時です。たまたま知人に連れられ、渋谷の道玄坂にあったハワイアンのお店「コニーアイランド」に行ったので、お店のマスター(三橋のぶおさん)に「ソシアルダンスでもしようかなぁ」と話したところ「美佳ちゃん、フラをやりなさい。」と言われ、一九八八年のこの日、思いもしないところで背を向けていた私とフラが、向き合う事になるのです。
私とフラの歩み寄り

三軒茶屋に住んでいた私は、池尻大橋でフラのレッスンをしていた、ナニ・フラスタジオ 主宰 カレイプアナニ土橋先生を紹介して頂いて、土橋先生の元へ通い始めたのです。当時、土橋先生は池尻大橋のご自宅のマンションの一室でレッスンをされていて、会社帰りの私は「ただいまー」的な自宅に帰るような感じで毎週通っていました。

最初に習った曲は「月の夜は」と言う日本語の曲でした。全くハワイアンの曲を知らなかった私でしたが、ハワイアンの持つ独特のメロディーに魅せられ、私とフラの歩み寄りが始まりました。若くしてフラを踊っている人はほとんどいなかったこの頃、当時まだ二十代の私は土橋先生に伴い、色々な場面で踊る機会を与えて頂き、色々な方にも出会う事が出来ました。

ワールドで優勝した時に一緒に撮った写真  
ワールドで優勝した時に一緒に 撮った写真
左:土橋先生
今でもお付き合いがあるバードランドの太田ママやアロハステーションの佐藤眞砂美さんは、その頃に出会った大先輩の方々です。今でも「美佳 ちゃん、美佳ちゃん」と良くして頂いて、これも土橋先生あっての事と感謝しています。 ナニ・フラスタジオに在籍していた八年間の間に、土曜日だけインストラクターとしてクラスを持たせて頂いたり、一九九四年には土橋先生が師事していました今は亡き、クム・フラ オブライアン・エセルから、Hau Kea I Ka I'ui'u MiKa (気品ある色の白い女性と言う意味)というハワイアンネームを付けて頂きました。
※「クム・フラ=フラの先生」
ベーシックステップ
クム・フラ オブライアン・エセル
クム・フラ オブライアン・エセル
そして一九九五年には、クム・フラ オブライアン・エセルの完全 指導の元、ハワイオアフ島で開催されているワールド・インビテーショナルフラフェスティバルにてアウアナ・グループ ワヒネ部門で優勝。その時にクム・フラ オブライアン・エセルにしっかりと鍛えられたベーシックステップは、今も私の基礎になっています。
一九九六年三十二歳になった私は、土橋先生に色々事を学ばせて頂いたご恩に報いることもせず「独立して自分がどれだけやれるか挑戦したい」の思いで独立し、銀座プランタン松涛校講師となりました。最初は五人からのスタートで今思えば「本当に生意気で怖いもの知らずに突き進んできたんだなぁ」とぞっとしています。
芥川美佳

あの当時は土橋先生の気持ちを考える余裕すらありませんでしたが、自分が生徒を持ってスタジオ経営者になってみると土橋先生のご苦労が身に沁みて、先生に対して 「申し訳ないことをしてしまっていたんだなぁ」と改めて実感しています。 

土橋先生本当にごめんなさい。 

今では土橋先生を囲んであの頃のフラシスター達と忘年会が出来るようになり感謝・感謝です。 土橋先生、本当にありがとうございます。

独り立ちして

一九九七年、土橋先生の元を離れてからちょうど一年、世田谷代田に小さなスタジオを設立しました。スタジオ設立パーティーの時は、ギターリストの鴻池 薫さん、歌手の竹本ひろ美さんや糸須まち子さん達が、お祝いに来てくださいました。ハワイの知人からは、クム・フラ アリイ・マヌを紹介されて、Halau 'O Po'ohala というスタジオ名をつけてもらい、少しずつ増えていく生徒さん達と充実した毎日を送っていました。 

翌九八年十一月には長女美織を出産、出稽古には一緒に連れて行き、車の中で母乳をあげると言う毎日でした。どこに行くにも一緒だったので、幼稚園に行く時は、なかなか親から離れるまでに時間がかかり、お互い辛い思いをしていました。 二〇〇一年二月には次女美紗希を出産、その頃は生徒さんの数も急増して、その年にハワイ研修旅行やスタジオを設立5周年記念、第一回ホイケ等を予定していた為、次女美紗希は山形に住んでいる私の伯母に、約半年間預けられたのです。

この育て方の違いで長女と次女は、全然違う性格になってしまいました。
(美織、美紗希ごめんね。)
この時のエピソードで、約半年ぶりに会った美紗希は私の事をすっかり忘れてしまい、他人を見るような感じで伯母から離れませんでした。この事に胸を痛め、どんなに忙しくても、もう伯母には預けられないと心に誓ったものです。(しかし「三つ子の魂百まで」で、中2まで時間があれば、「ばぁばぁの所へ行ってくる」と一人で山形まで伯母の様子を見に行ってくれていました。)伯母には預けられないとは言っても忙しい毎日、二人の子供たちの面倒はお手伝いさんに任せきりで、幼稚園のお母さんたちからは「さっと来て、さっと帰る人」と言われていたと言う事は、後々うちの生徒さんになった人の話ですが......この第一回ホイケを皮切りにフラと私の激動の生活が始まったと言っても過言ではありません。

※「ホイケ=発表会」
二〇〇二年にはホオラウレアジャパン・コンペ初挑戦で、グループクプナ・アウアナ部門で二位入賞。あの時の感動は今でも忘れられません。それからの四年間は出場するコンペにおいて殆ど入賞すると言う成績を残しました。
ちょうどその頃、ホオラウレアジャパン主催のトニータウベラさんには良きアドバイスをもらい、ディナーショーのサポートや、ホイケのサポートをしていただいていた関係で、マカハ・サンズの一員である、ムーン・ R・カウアカヒさんと交流を持たせていただきました。

ムーンさんは私にKalehuakea (白いレフア)と言うハワイアンネームをつけてくださり、それに伴いハラウ名 今のスタジオ名 Halau 'O Po'ohala から Na Liko O Ka Lehua Kea (白いレフアのつぼみたち)と命名してくださいました。
世田谷スタジオ
ムーンさんはこんな言葉も残してくれました。「美佳の大好きなカウアイ島のカイポレイマヌに咲く珍しい白いレフアの花が遠く海を越えてここ日本に舞い降りてきました。白いレフアのハラウの生徒の皆さんは白いレフアのつぼみたちなのですよ。」と...... 新しいハワイアンネーム、新しいスタジオ名、コンペも殆ど入賞、怖いもの知らずと生意気で、ハワイのクム・フラに師事せずとも、私の力でできるじゃないかと自負していたのです。そのすぐ後に挫折感を味わう時が来る事も知らずに......
そしてその日はやって来ました。 二〇〇六年、スタジオ設立十周年記念ホイケを迎え、スタジオ設立当時から十年在籍してくれた三人の生徒さんの十年表彰もやり、またこれから新たな十一年目が始まると、意気揚々としていた私にフラは歩みを止めたのでした。 それは、十年表彰したばかりの三人のいきなりの退会。それに伴いワヒネ コンペメンバーの退会でした。

二〇〇三年十二月、初めてキング・カメハメハ・フラ・コンペティション 日本大会に挑戦しましたが入賞ならず、二〇〇五年十二月に二度目の挑戦、しかし、これも入賞ならず。それまで外のコンペティションには入賞実績があったにもかかわらず。「やはりこのキング・カメハメハ・フラ・コン ペティションだけはハワイのクム・フラに師事していないと入賞出来ないのか......」と自分を責め続けていた事を退会したメンバーは聞いていたのかもしれません。 そしてその頃、ハワイのクム・フラから直接レッスンをしてもらえる日本校が出現し始めていて、この十年を目処にうちのワヒネ達はこぞってその日本校に流れていってしまったのです。 私のショックは計り知れないものでした。
前進あるのみ
暫くは立ち直れずに、くよくよ悩んだりもしていましたが、本来負けず嫌いの私は「なにくそ、今に見ておれ!」と気持ちを奮い立たせ「後なんか振り返らずに前進あるのみ」と思い、悩みながらも私がフラを追いかける様に歩み寄る日々が何年か続く事になります。 ハワイのクム・フラは皆さん素晴らしい方達ばかりです。でも当時の私は、クム・フラ オブライアン・エセルを心の師に思っていて、私のベーシックステップは彼のステップでもあるので、変えられないと思い、他のクム・フラに師事する事は考えられなかったのです。
2016年ホイケパンフレットより
それ以来、私は他のクム・フラのワークショップ は受けながら、私なりにいろんなことを見聞きして勉強を続け「これでもか!これでもか!」と試行錯誤して、キング・カメハメハ・フラ・コンペ ティションに挑戦して以来九年目の二〇一二年十一月、四回目の挑戦で初めて四位入賞を果たしました。
ハワイのクム・フラに師事しなくても入賞 できた事は、私も認められた気持ちになり、優勝でもないのに優勝したぐらいに喜びを噛み締めました。そう、またフラは私に歩み寄りを始めてくれたのです。
[5] 小平(SMI総務管理)からお聞きしたいこと
インタビュアー
SMI総務管理 小平 義徳
小平 コンペティションについて思うことをお聞かせください
芥川 今日までいろいろなコンペティションに挑戦し、それなりに実績も残してきましたが、やはりコンペティションは大変な事で、退会する生徒さんが出たり、生徒さん同士がギクシャクしたり、良いことばかりではありませんでした。その大変なことを続ければ続けるほど「コンペティションだけが魅せる場所なのか?」と思うようになってきています。もっとフラは見る人を楽しませたり、見る人に感動を与えたり、見る人の心を動かせられたら、競い合う必要は無いのではないかと......
小平 スタジオ設立二十七周年と還暦について
芥川 二〇二三年十月、ナー リコ オ カ レフア ケア は設立二十七年を迎え、私は還暦を迎えました。今、振り返ってもいろんなことがありました。人との出会いと別れ。二人の娘の出産。フラに対する挫折。人間不信。両親・妹、弟との永遠の別れ。新たな出会い。いろいろな思いはありますが、それでも私はやはりこのフラに救われています。幼い頃、生みの母と妹をなくしていますが、フラを通じて、母もたくさんできました。妹もたくさんできました。スタジオのモットーである「オハナのようなハウラを作り、皆で心のこもった美しいフラを目指しています!」とありますように、フラを通じて暖かいオハナを形成していると自負しております。生徒さんは本当に私の心の拠り所であり、フラを続けていく活力でもあります。そして、私の大好きな人達と一緒に還暦を迎えられた事に本当に感謝しています。有難うございます。10年前は還暦60歳で引退!!なんて考えてもいましたが、実際60歳になってみたら、もう少しやれるかな?という考えになっています。やはりスタジオ設立30周年までは頑張らないといけないなぁ〜と今は欲も出て来ています。
※ 「オハナ=家族」「ハラウ=教室」
小平 今後についてお聞かせください
芥川 今後日本はますます高齢化が進んでいくとともに高齢者のフラ人口もますます増加していくと思います。そういう中、車椅子フラ、介護的フラがあっても良いのではないか、フラを通じて、生きる喜び、生きる楽しさを分け与えられたらと、思い始めています。
左:美織 中:美佳 右:美紗希
左:美織 中:美佳 右:美紗希
「日本に居て、日本人の人達の為に何かできる事」それは日本 人の私だから出来る事を、一人 でも沢山の人にフラの楽しさを伝えていく事なのかもしれません。これからも人との出会いを大切にし、人との出会いに感謝して、私に出来ること、私にしか出来ない事を模索しながら、これからのフラ人生をフラと共 に歩んでいこうと思います。 背を向けるくらいフラのフの 字も知らない私が思いも寄らない事で降り向き、歩み出し、考えさせるように歩みを止められ、知る為に追いかけ、今も共に歩 みたいと思う。だからこそ、こんなにも愛しいフラを皆さんに伝えたいと思うのです。
最後になりましたが、今まで私と出会ってくれた皆さんに感謝しな がらペンを置きます。
ナー リコ オ カ レフア ケア 主宰 芥川 美佳